2010年06月28日

外来種。



先日、小谷村の栂池で高原に生えている外来種の駆除をした、というニュースをTVで観た。元々の生態系を壊すということで、なにかと目の敵にされる外来種だけれど、そんな外来種も根付いてしまえば、それはそれで新たな生態系というわけにはいかないのか。人為的に持ち込まれてしまった動植物でさえ、やはり新たな地でも生きていきたいのだろうし、それを奪うことがどうして正当化されるのか、よく考えてみないと分からないことじゃないか、と。
人間もそうなのか。コミュニティや仲間意識においては意識もせずに「内」と「外」が区別されているように思う。内輪と余所者というか。余所者から内輪を守るために、そういう括りが要るのかもしれない。しかも、内輪に食い込んでくる余所者は、まるで外来種のように蔓延ったり繁殖したりする場合もある。それで、コミュニティ自体を変質させてしまうことも。内輪が弱いから余所者の存在がより目立つということもあるだろう。それも、自然の様子を変えていってしまう外来種と似ているような気がする。
写真は、昨日田植えを手伝った際に撮った田んぼを眺めるそうすけという構図。そうすけも外来種だし。

追記、先程ちょっとウキペで調べてみたら、外来種とは人為的に持ち込まれた生物を指すらしく、風や鳥が運んだりした種子は、どうも違うらしい。となれば、あのニュースが言っていた「外来種」とは、本当にそうなのだろうか。人が持ち込んで、栂池の高原に撒いたなんて、ちょっと想像し難い。  


2010年06月27日

振り返る。



次女が中3になり、テスト勉強しているので、それで連立方程式の文章問題で躓いているもんだから、「教えたる」と言って余計なことをし、それでついつい口調が厳しくなって泣かせてしまった。実の娘だと遠慮なく憤りを表してしまうものなので、結局こういうことになりやすい。で、最期にぼくが自作した問題を解いてもらった。

問題:あなた(次女)とそうすけ(犬)の食費は1日1000円です。それで、あなたは1日に3食、そうすけは2食です。そのうえ、そうすけの1食分の食費はあなたのちょうど半分です。あなたとそうすけの1食分の食費はいくらでしょうか?

ぼくの中3はどんなものだったか、振り返ってみる。たいして、勉強もしないし得意でもなかった。バイクが好きで、夜中バイクを乗り回すことを「夜バイ」と言ったりしていた。学校はあまり好きでなかった。気分が悪くなくても保健室に行けば、早退することができた。体温計の先を指先で強く擦れば水銀がグッと伸び、それが37度を超えていれば「帰って休むように」と言われた。

そうすけと次女の食費は、意外と現実通りかもと思い、試算してみるとそんなことはないようだ。数学っていうものは、実生活で役に立つのか。そういう頭の使い方が役立つこともあるけれど、それができなくてもたいして困らないんじゃないか、そうも思う。
  


Posted by sousuke at 10:50Comments(0)省みるべきこと

2010年06月26日

MYドッグラン。



うちではなくて、知人のお宅。2匹いる犬のために、リードが絡まったりしないようにと、柵を施して自前のドッグランを完成させたというので、そうすけ共々遊びに出掛けてきました。一本一歩杭を打って、下地にはウッドチップを敷いて、なかなか手の込んだもの。中で戯れる犬たちがうれしそうなので、それがなりよりでしょう。ぼくも、近いうちに自前のドッグラン&庭がほしいなあ、と。そう思ったのでした。  


2010年06月18日

雨降りに考える。



ぼくにとっての原風景は千曲川のみえる辺りにある。その千曲川、雨降りが続くととたんに流量が増すし、浅川下流の水害もその主原因は千曲川にあるのだから、浅川にダムを造ってみても水害対策としての効果など期待できない、という…。
つまり、浅川のその上流の穴あきダムの効果が出るほど雨が降れば、千曲川もその浅川以外の支流も次々氾濫しちゃうんじゃないのか。それで、水害対策として今すぐに手を打つべきなのは、浅川ダムじゃないんじゃないの、というだけなんです。数年前には柳原地区が冠水(主に床下)して非難したり、若穂地区では長電の線路まで水浸しになったけれど、そちらへの対策はどんなものなのか。諏訪湖の下流域や県内には他にも自然災害の危険が差し迫っているところがあるのでは。
建築業者さんに頼まなければならないこと、近年被害を受けた自然災害の危険に直面している地域への防止策、小中学校や福祉や介護のための公共施設(新設・建替え・耐震施工等)、老朽化が心配される給排水施設等、通勤渋滞緩和のための道路整備等々のインフラ整備、まだまだあるんじゃないかと。
それにしても、浅川と千曲川はどちらが危ういんだろう。  


2010年06月16日

ほっぺを抓ってみる。



自分の存在を「我思う、故に我あり」などと言うように、わざわざ確認しなければならないほど、誰もが懐疑的になり過ぎている昨今。頭の中で考えをぐるぐる巡らせるよりは、掌を見てほっぺを抓れば、それで良いんじゃないかと、そう思うのだけれど。悪いことばかり起こっているような気もするし、そうでもないなあと楽観もでき、動く前に考えてばかりいられるのは、まったく悪くはないと思うわけで。
野に生える草は、たとえば太陽に向かって伸びていこうとする。そこに「故に太陽あり」との思考はないはず。考えるべきことが多過ぎるように思えるのは、それ故人間であるということの証みたいなものなのか。たった一つの人格なのに、人称ばかりは二つも三つも気にしている。面倒臭いなあ、人間って。それで、そういう面倒臭いのが嫌いじゃないんだよなあ、ぼくは。  


Posted by sousuke at 19:29Comments(0)どうでも良いこと

2010年06月10日

宇宙をみる。



切り株の中に、なにか別の世界というか、ぼくの居る宇宙とは異なる宇宙をみたような気になり、それで写真を撮った。蟻ぐらいの大きさになって、この宇宙の中で二、三日過ごしてみたいけれど、それは空想でしか成り得ない世界観。だから、ここでは「宇宙」ということにした。
悪者は真に悪いのか、または、その逆は。いまどきは、悪者を必要としているそんな時節なのだろう。悪者が暗躍することを指しているのではなく、社会が排除すべき対象としての悪者。つくられる悪者が存在し得るとしたら、やはりそれを認め、それに縋ってしまう社会の方がよっぽど悪者だろう、と思った。
この切り株の中の宇宙には、悪者は、悪者を求める社会は、存在しないと思いたい。たった半径15センチほどの宇宙なのだから、それを妄想と決めつけることは止めておこう。
  


Posted by sousuke at 11:24Comments(0)どうでも良いこと

2010年06月09日

処分に困る。



 放射性物質の取り扱い、特に原子力発電に関しては放射性廃棄物の処分が、未だに見通しこそ立っていない。廃棄物をさらに濃縮して燃料化するプルサーマルも、フランスなどにお願いしなければならないようだし、そのために用意したつもりの六ヶ所村(青森県)も、実用化どころか、安全性を含むその機能がほとんど明らかになっていない、いや、推進する側にとってはそんなことないのでしょうけど。
ニューモでしたっけ、地中深く埋めて管理しましょうというCM。結局、それしかなんだろうな、とは思う。ロシアなど、海に沈めてしまっていたところもあるようだけど、そういうことができないし、しないような社会なのだろうしニッポンは。
で、ここでただただ保管されている、いつか来るだろう処分される日まで待ち続けなければならないのは、PCBを抱くトランス達。なんか、さみしいなあ、と思う。これを作っていた当時は、こういうことになるなんて、想像していなかったんだろう、たいがいの人は。  


Posted by sousuke at 16:51Comments(0)省みるべきこと


数年前、太陽光発電のパネルを買ってくれないか、と頼まれたことがある。「家の屋根に付けたらさ、その南側に家が建ってしまって、それも三階建て。それで、日陰になっちゃうんだよ」 三百万円もかかったというから、それで思ったように発電できないなんて…。
太陽光発電といえば、よく見掛けるのが庭先の照明。あれって、リーズナブルで便利。日中一生懸命電気を蓄えて、それで暗くなったら明かりを灯す。街灯なんて、これで良いんじゃないかと、いくらかのパワーアップは必要だけれど、ね。真夜中まで明るいのは、光害と言ったりもするようですし。そういや、うちもLEDランプ導入しましたよ。トイレと風呂場に。
写真の中で光っているのは長野五輪のために建てられたエムウェーブ。あれって、太陽光パネルで造れば良かったのに、反射させるだけじゃ、もったいないよ太陽光。