
何と戯れたかといえば、それは「泥」である。泥はなかなか重くて、それで粘る。だから、戯れるのもひと苦労で腰が折れる。そんな泥をぐちゃぐちゃぺたぺたとやって、それで何かをつくる。誰が何処で何をつくっているのか、このぼくはもちろん知っているけれどそれをここに書き記すことはできない。なぜかといえば、その誰かに「書き記すこと」についての了承を得ていないから。しかし、了承を得ようとしたとことで、間違いなく了承は得られそうもないから、無断でこんな中途半端なやり方をした、のだ。
つまり、そのうちぼくも泥と戯れてみたい、という…
ちょうど今、ご近所さんの「cafeMAZEKOZE」http://rikimaze.exblog.jp/からつねこさんとピス(ビーグル/まだ子犬)が、散歩がてらにうちの編集室+をのぞきにきました。「なかなか良い感じね」とお褒めの言葉を頂きましたが、真に{良い感じ」なのは、MAZEKOZEの方なので、少し心苦しかったです。
と、いうわけで、やっぱり泥だなあ、と思ったというわけです。これから冬に向う年内は無理かもしれないけれど、暖かくなり始めたら泥と戯れる、ことをしよう。
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18:43
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なぜだろ?と、一瞬考えてみたけれど、その一瞬で考えるのは止めにした。誰かが、この場所にこれだけの一円玉を置いた、のだ。それはそれで良いんじゃないかな、とそういう結論に達したので。いつもの散歩道、というかそうすけ(犬)を伴って、もしくはそうすけ(犬)に伴われてトコトコと通う通勤路。その途中に一円玉が無造作に置かれていた、いや、きちんと積み上げておいたのが風や振動で崩れてしまっただけかもしれないけれど、ぼくがみつけたときは無造作な感じになっていた。
そうすけ(犬)が「ここ掘れ(見れ)!わんわん」とみつけた、というエピソードを無理矢理に演出しようとしてみたけれど、そうすけ(犬)もやはり一円玉には興味がないらしく素知らぬ振り。きっと誰も拾わないんだろうな、なのでぼくも拾わずに放っておいた。すると…
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12:51
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きょうもまたブログをさぼってやろうと息巻いていたのだが、そういうわけにはいかなくなった。Mr.Poteto Head Spud Trooperがそんなぼくを見張っていることに気付いてしまったからだ…。なんかとてつもなく阿呆な書き出しだが、まあそれはそれで真実なのだから仕方があるまい。編集室/長野市西町は徐々に整いつつあり、デスクの上にこんなヤツを載せておけるくらいの余裕というかゆとりも出てきた。肌寒いので石油ストーブをつけたら、ぼうっとして寝てしまうくらい暖かい。そうすけ(犬)は耐えられずに、デスクの横っちょで寝てしまっている。
昨日は、フォトグラファーのKON/らーじさんとポルチーニ(茸)のパスタを食べに出掛けた。(そのポルチィーニパスタPHはラージさんのブログ[http://suteki.naganoblog.jp/e852480.html]で楽しんでください)。それで、一杯のビールを飲んだりした。「自分が飲みたいのだけれど、大瓶じゃ多過ぎるから飲んでおくれ!」と、絶妙な言い回しで勧めててくれたアセゾネの店主に感謝。今度は自腹でワインが飲みたい。いつかきっと、ではなく近々…。
Posted by sousuke at
19:13
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以前、拾ったレコードを聞いてみた、荒井由美。B面のラストは「翳りゆく部屋」。うーん、なんでだろ。どうしてこういうことを歌にして、それで歌ってみせるのか。例えば、ぼくであれば、
どんな運命が愛を遠ざけたの。
輝きはもどらない。
私が今死んでも。
と、たとえそんなことを思い浮かべたとしても、決して口に出したりしないだろう。もちろんブログにも書かないし、それを詩にして歌うなんて…。まあ、それが「表現者の表現者たるゆえん」なんだろうな。照れとか恥じらいとか、非常識を気にするとか、それこそ凡人の枠に収まるための枠組みみたいなものなのだろうし。ということは、このぼくもやっぱり常識に縛られているごくありふれた凡人に過ぎないのだな、ふむふむ。凡人で良いじゃないか、ぼくは明日からまた立派な凡人として生きてゆきます。輝けなくたって良いんだよ、それで生きていけるなら。なんてね。
Posted by sousuke at
20:02
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蜘蛛、女郎蜘蛛。「女郎」って、それってなんなのよ、それで良いのかよ、ってなもん。この長野の権堂じゃ、国定忠治がもてはやされてるらしいっすな。そっすか、つまりは博打うちにとってはこれほど都合の良い話はないというわけで。といえば、最近はヘンな亡骸があがってますな、豊胸手術跡にタトゥとか…。それにバラバラ死体の生首とか…。
まあ、それならそれで良いっす。
Posted by sousuke at
23:17
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ランプである、油で灯るオイルランプ。埃だらけだけれど、使用感はなさそう。つまり、いわゆるデットストックという代物。いや、芯の部分を良く見てみたら少し焦げ跡があったから、一度くらいは点火したようだ。たぶん真鍮製、いつ頃作られたものなのかは不明。どんな燃料で灯すべきなのか知らないのだけれど、そのうち点けてみたいと思う。ホワイトガソリンで良いのか、それとももう少し粘度の高いオイルの方が無難か、てんぷら油でも良いのかも。
こういう古い物を得意としているというか、好んで集めている人物がわりと身近に居る。この夏から喫茶店のようなものを始めたりもしている。それで、店内はそんな骨董で溢れている、というかそれなりにたくさんの品があるというだけでなく、店内が狭いのである。しかし、それがまた良いと思う、ごちゃっとしているところがまた骨董屋らしいと思うから。
とにかく、捨てる人が居るから、そのおかげで拾う、というより誰かが捨ててしまうものを大事にして楽しむ人も居る。そればかりでなくて、気に入ってしまうとわざわざ買い込んだりして、そうやって手に入れた気に入った器を使い、挽きたてのコーヒーを淹れる。アルコールも出す、テキーラとかシングルモルトウィスキーとか、ラム酒とか。今のところジンは扱っていない、気に入ったものがみつからないのだと思う。気に入ったもの、自分が好きなものだけを売る、そんな潔いも度を過ぎた商売。物を売る商売ではなくて、自分を売る商売。そうそう商品は「自分」ということ、そういう潔さ。
そういう潔さが微塵もないんだよな、この僕には。でもまあ、とりあえずは、このランプを灯してみよう。
Posted by sousuke at
16:46
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こんな書き込みの、というか当ブログのことなんだけれど、そのスタイルを変更しようと思いつつ相変わらずの鈍重さが功を奏してというか、功ではなくて確かに災いなのだけれど、それでもなお何かしらの言い訳が思い付いているから、このように切羽詰まらず茫洋としたまま。踏ん切りの悪さは自認するところだけれど、相当な焦りも感じていたりもするし。「自分が自分であることの確認作業」に固執するのは、やはり老いた証拠というか、そのような作業に没頭することでしか「生きる意味」なんかを実感できないからか、そうではないな、やっぱり。
つまりは「リアリティのなさ」ということか…。そんな自問自答で悦に入ってるのだから、まだまだ考えに考え込むんでしょうね、この世のことなどを。例えば「誰か好きな人が居る」というリアリティからも随分遠ざかってしまっているような気もするし、こんなことをただただキーボードを無神経に叩いて綴ってみたりして、そこからまたリアリティが失われていくような。苦痛やストレスこそが人(人間)が最も実感しやすい「リアリティ」なのかもしれない。それは、例えば「死」を迎える瞬間に「生/Life」を痛いほど感じ取れることのようなもの、というか。
そんな「リアリティ」が欠乏した文章をとりあえず書き残しておこう。日常の中の自虐的エピソードはまたの機会にします。
つまりは「リアリティのなさ」ということか…。そんな自問自答で悦に入ってるのだから、まだまだ考えに考え込むんでしょうね、この世のことなどを。例えば「誰か好きな人が居る」というリアリティからも随分遠ざかってしまっているような気もするし、こんなことをただただキーボードを無神経に叩いて綴ってみたりして、そこからまたリアリティが失われていくような。苦痛やストレスこそが人(人間)が最も実感しやすい「リアリティ」なのかもしれない。それは、例えば「死」を迎える瞬間に「生/Life」を痛いほど感じ取れることのようなもの、というか。
そんな「リアリティ」が欠乏した文章をとりあえず書き残しておこう。日常の中の自虐的エピソードはまたの機会にします。

Posted by sousuke at
15:51
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