2012年03月05日
この現実。
何かが起こったというだけでは、そこに何の感情も生まれない。それを知り得て、それでやっと怒ったり喜んだりする。というのは、つまり何事も自分次第なんだということ、そういう理屈によって自分のマインドが操作できるのならば、それはそれで良いんじゃないかな、と思い続けてきた。自分にはその背後にもう一人の自分がいて、そのもう一人の自分の目線ばかりを気にして、立ち振る舞いをするものだから、なにかこう常に自分であって自分でないというような違和感がある、そんな日常から抜け出せない。
そこから抜け出そうとするあまり、つまりは背後にいる自分を本来の自分を重ね一体化するために、アルコールを過度に摂取するのかもしれないなあ、と。自分を抑え込もうとするもう一人の自分からの解放。
結局、このぼくは自分のことばかり考えているようです。亡くなった父。あまり健康ではない母。それぞれの事情を抱えて懸命に暮らしを守っている弟と妹とその家族。そしてぼくにもいるはずの家族。いつも寄り添ってくれているそうすけ(犬)。友人たちや知人の皆さん。そんな誰かと居たいときもあれば、誰かといる煩わしさに耐えられなくなったりと、きっと自意識が過剰なんだろうな。一人になってやっとわかる、その誰かの存在感。その誰かって、あなたのことかもしれない(と確信犯的に書いてみました)。
最近、浮かれているのかもな、このぼくは。春の気配のせい、にしよう。
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Posted by sousuke at 21:30│Comments(0)