古い洗濯機で雑巾の脱水を試みるウノくん。上手くできず通りがかりの人に指南される。この古い洗濯機も近々老人保健施設に搬入される。「懐かしさ」を愉しんでもらえれば、と思う。

 誰もが疲弊しているように思えるし、誰もが困惑しているようにも思える。幸せなのは、本当にそうなのは誰一人いないんじゃないか、と。変化の速度が早すぎるんだな、たぶん。テクノロジーの進化に生身の人間は付いていけない。頭ではわかったふりもできるけれど、身体は悲鳴を上げている。いっそう、変化や進化に付いていくことを諦めてしまえば良い。

 急足で進んでいるように見えるけれど、その先に何があるのでしょうか。というより、何事にも言い訳めいた理由を貼り付けていくことで、自分で自分を騙すようなやり方になってしまうのなら、いまのそのスピードを落としてみたら、と思う。焦っても仕方ないんだよ、それを焦っている人に言ってしまう。そういう鈍感な言動が焦りをさらに増幅させるのだろう。焦りとはそういうもの。

 「最近のブログ、荒れてない?」と言われれば、思いあたることはいくつかある。もちろん迷いもある、というか迷いしかない、迷うしかない。とここまで書いて、ようやく眠くなったから寝ますね。以前は何か本などを読むことで眠気を誘っていたけれど、この頃は何かを書いてみたり…。
  


2012年02月19日

交差している。


 いろいろな想いが交差して、それで僕はその想いのせいでがんじがらめになる。というのは、たぶん交差していると思い込んでいるせいで、この僕に想いを向けたりする人など、交差するほどはいないのに。

 好きとか、そういう想いの丈を伝えたいのか、そうでもないのか。

 冷やかしで「もてるんでしょ」と言われ、そのことに愛想笑を浮かべ、そんな自分に愛想尽かす、とか。いつまで、そんな無邪気なふりをしていられるのだろうか。現実はたぶんそこにあるはずなのに、その現実の中にどっぷり浸かって生きることを容易に受け入れないのなら、その現実はますます見えにくくなる。

 何かを好きになってしまうこと、それをしないようにと自分をコントロールしようとする試み。その狭間にある、小さな混乱。犬でも、車でも、映画でも音楽でも酒でも、もちろん異性でも。好きになるということは、幸せなことなのか。そんな幸せすら、錯覚でしかないのか。もしくは、偶像なのか。

 そんな想いが交差するところに、いま僕は居るのか。

 いまさらになって、自分の幸せを願うことはないけれど、誰かには幸せになってもらいたいなあ、とそれを微かに思う。べつに格好をつけているわけではないけれど、いまはそんな言い方しかできないんだよ。  




 はじめて異性と、つまりは女の子と手をつないだのは、母や祖母や近所の幼馴染というのではなくて、好きだとかたいしてそうでもないんだよなあとか、そういう気持ちを持ちながら女の子に触れてつないだのは、いつだったか。まったく覚えていないのです。はじめて好きになったのは誰かということすら記憶になく、そういえば、誰かを好きになったことなんてあったのか。仮にあったとしても、それは遠い昔に置いてきてしまったんだよな、そんな「好きになる」という感情は。
 手をつなぐ、そうするとそのつないだ手が温かくなって、心の方もほっこりとしてくるような、そんな気がするのはなぜなのか。残念ながらそうすけ(犬)は足ばかりが4つもあって、つなぐ手がない。そうすけ(犬)と手をつないで歩いたら、さぞかし楽しくほっこりすると思うんだけれど、それが為せないというは案外さみしい。それで、ぼくは毛糸の厚い手袋をしてそうすけ(犬)とともに雪道を歩くのでした。そのうち、ぼくにとってのつなぐ手がみつかるかも知れない。そんなわけないよ、と思いつつ。

 それでも、手をつなぐのって「守ってあげたい」とか「守ってね」とかいう、お互いの気持ちの確認作業のような感じもする。「作業」なんていう言い回しは、あまり好きじゃないんだけれど。そのことを急に思い付いたので、このブログに書き記しておこう。それで、つなぐ手がある人々は、その手をやさしくしっかり握ってください、そして…。  


2012年01月18日

一丁一炭。



 まあ、勘弁してください。一長一短を一丁一炭を言い換えたりして、それでご満悦ではありませんので。西町編集室では、とことんアナログ(アナログというと単に「古めかしい時代遅れのもの」と思われがちですが、実際はそうではないのです。詳しくは…、せっかくインターネットを使っているのですから、ご自分で検索してみてください)にこだわっているので、まあ、それも経費節減で自分でやれそうなことはやってみたらどうよ、という基本コンセプトの為せる業なのだけれど、暖房や湯沸し、温め直しは化石燃料や原発が含まれるかどうか分からないのだけれど、それを含んでいるだろう(もしくは、いた)電気に頼っている。まあ、現在のあまりに乱雑な状況を脱して、整理整頓が進めば自前のストーブを炭かなにかで点けてみたいとは思っていますが。そんなだらだらと長い前段のせいで、せっかく当ブログを読み始めた方々も、CMになってチャンネルを変えるがごとく、他のページへと写りゆく様は、それもまたおかし、なんていう相変わらずの脱線。というわけで、閑話休題。
 写真の炭は、備長炭というものであって、その辺のホームセンターにある「発泡酒片手にバーベキューにうってつけの炭、1箱何キロ入か知らんがそれで980円」という、火がつけば炎を上げてすぐに燃え尽きてしまう、そんな黒い薪のような炭とはまったくの別物。この備長炭で鍋を煮て、うどんを煮て、それで湯を沸してお茶まで入れて、さらに暖房も…、それで備長炭のもつエネルギーを制覇したのはMrダイス(http://etc.naganoblog.jp/)という人物なのだけれど、というか、本日のブログに限らず僕の書くものはこの「けれど」という逆接の接続詞が多い、まあそれも仕方ないのだなあ、そんな逆接ばかりの時代だから。おっと、またまた、閑話休題。
 うーん、備長炭はすごいんですよねえ、ぼくも備長炭を手に入れて、焼き鳥などを焼いて、それでビールを飲んだりして、その横に可愛いカノジョをはべらせたり。つまりは、備長炭で冷えた指先を暖めながら、そんなことをちょこっと思っただけなのでした。で、何が言いたかったかといえば、可愛いカノジョがほしいんだジョー、というだけなのです。そういうわけで、このブログすべてが閑話だった、というミステリアスな結末。最期まで読んでしまったあなたには、この地球の次に大きなサイズの「サンキュー」を贈ります、サンキュー。
   


2011年12月08日

写すを写す。



 ぼくの編集室の付近であやしい男を見掛けた…、と思ったら知人だった、約9年ぶりの再会。趣味で写真を撮っていて、その被写体探しにこの辺をうろうろとしている、とのこと。で、その被写体というのが猫。編集室のある西町のあたり、善光寺界隈には猫が野良もそうでないのもけっこう多く生息しているようで、街を歩けばたいてい猫に出くわす。まあ、そんなときでも挨拶を交わしたりもせずに、見てみぬ振りしてやり過ごしていたのだけれど、その知人はカメラの中に収めているのだ。
 さらに知人の使用するカメラが、これがまたこだわりの一品というか、そんな感じの「ローライフレックス」、つまりブロニーフィルムに焼き付けて写す、二眼カメラ。ロクロク(6×6)のBWに猫を写すなんて、そんなやつが、こんなところにいて、それも知人だったなんて。
 というわけで、その知人が「写す」ところを、このぼくがさらに「写す」ことをしてみたのでした。そういうのって、案外面白いと思うんだけれど。  


2011年11月21日

土蔵にどうぞ。



 篠ノ井の傷んだ土蔵を改修して「男の部屋」に仕立てる、という改修工事に取材を兼ねて参加させていただいているのだけれど、そこに「夢をみている男たち」とのお付き合いも同時に始まっている。で、団塊の世代ということで良いのかかわらないけれど、定年後の仕事の一線からは退いたそんな「男たち」はジョークや駄洒落が好きだったりする。

土蔵へどうぞ!
荷台が2台。
喜多方に来たかった。

 土蔵本体の施工より、そんな駄洒落への対応に苦慮したり…(苦笑)。現在、作業中の駄洒落を禁止するか、もしくは駄洒落対策費を計上するか、その辺を検討中…。  




 この世に生を受けて、だなんてそれほどのことでもなく、親父とお袋がやることやってぼくが生まれてきて、またまたなぜにこんな意味もなくだらだらと続く前振りを用意することもないのに、取り止めもないとはこういうことなのかと、そこでまだ本題からずるずると遠ざかっていく、そんなぼくの日記/ブログ。
 つまりは、ぼくにとって趣味と言えるものはなかなか見つからなくて、そんな無趣味状態が生まれて此の方ずうっと続いているぼくは、「趣味は何?」などときかれてしまうと、「まあ、ひなたぼっこかなあ」と応えてみたりしていたわけで。
 寒い日ばかりだと、気持ちの良いひなたぼっこが懐かしいなあ、と思い出したりしたので、そんなブログを綴ってみたり。ひなたぼっこ名人といえば、写真に写るご近所の老犬。ぼくもいつか、うまく老いることが出来たら、こんなふうに日向の中で過ごしたい。

 それがぼくのいちばんの夢です。  




 今日は冬至。一年の中で昼が、つまりは太陽が出ている間、その時間が一番短い日なのだそうだ。それを知っていたわけではなく、たまたま近所の亀の湯にいってみたら、柚子湯だった。なんか少しだけ得した気分。その得した気分を表そうと、けれど手元に柚子はなくてみかんだったら二つ転がっていたから、それを写してみただけ。だから、みかん。
 柚子湯のおかげでお肌はモチモチ、いやモチモチじゃ亀の湯はわりと熱めだからドロッと溶け出しそうだぞ。そんな亀の湯の壁画は細かいタイルで描かれていて、何が描かれているのかというと、ぼくには「タジン鍋」にしか見えないのだけれど、そんなタジン鍋を銭湯の壁に描く理由は、やっぱりぼくにはわからない。

冬至、冬の寒さもそれらしく本格的になってきたので、みなさん身体を冷やしすぎて風邪などひかないように。  


2010年06月28日

外来種。



先日、小谷村の栂池で高原に生えている外来種の駆除をした、というニュースをTVで観た。元々の生態系を壊すということで、なにかと目の敵にされる外来種だけれど、そんな外来種も根付いてしまえば、それはそれで新たな生態系というわけにはいかないのか。人為的に持ち込まれてしまった動植物でさえ、やはり新たな地でも生きていきたいのだろうし、それを奪うことがどうして正当化されるのか、よく考えてみないと分からないことじゃないか、と。
人間もそうなのか。コミュニティや仲間意識においては意識もせずに「内」と「外」が区別されているように思う。内輪と余所者というか。余所者から内輪を守るために、そういう括りが要るのかもしれない。しかも、内輪に食い込んでくる余所者は、まるで外来種のように蔓延ったり繁殖したりする場合もある。それで、コミュニティ自体を変質させてしまうことも。内輪が弱いから余所者の存在がより目立つということもあるだろう。それも、自然の様子を変えていってしまう外来種と似ているような気がする。
写真は、昨日田植えを手伝った際に撮った田んぼを眺めるそうすけという構図。そうすけも外来種だし。

追記、先程ちょっとウキペで調べてみたら、外来種とは人為的に持ち込まれた生物を指すらしく、風や鳥が運んだりした種子は、どうも違うらしい。となれば、あのニュースが言っていた「外来種」とは、本当にそうなのだろうか。人が持ち込んで、栂池の高原に撒いたなんて、ちょっと想像し難い。  


2010年06月18日

雨降りに考える。



ぼくにとっての原風景は千曲川のみえる辺りにある。その千曲川、雨降りが続くととたんに流量が増すし、浅川下流の水害もその主原因は千曲川にあるのだから、浅川にダムを造ってみても水害対策としての効果など期待できない、という…。
つまり、浅川のその上流の穴あきダムの効果が出るほど雨が降れば、千曲川もその浅川以外の支流も次々氾濫しちゃうんじゃないのか。それで、水害対策として今すぐに手を打つべきなのは、浅川ダムじゃないんじゃないの、というだけなんです。数年前には柳原地区が冠水(主に床下)して非難したり、若穂地区では長電の線路まで水浸しになったけれど、そちらへの対策はどんなものなのか。諏訪湖の下流域や県内には他にも自然災害の危険が差し迫っているところがあるのでは。
建築業者さんに頼まなければならないこと、近年被害を受けた自然災害の危険に直面している地域への防止策、小中学校や福祉や介護のための公共施設(新設・建替え・耐震施工等)、老朽化が心配される給排水施設等、通勤渋滞緩和のための道路整備等々のインフラ整備、まだまだあるんじゃないかと。
それにしても、浅川と千曲川はどちらが危ういんだろう。  




数年前、太陽光発電のパネルを買ってくれないか、と頼まれたことがある。「家の屋根に付けたらさ、その南側に家が建ってしまって、それも三階建て。それで、日陰になっちゃうんだよ」 三百万円もかかったというから、それで思ったように発電できないなんて…。
太陽光発電といえば、よく見掛けるのが庭先の照明。あれって、リーズナブルで便利。日中一生懸命電気を蓄えて、それで暗くなったら明かりを灯す。街灯なんて、これで良いんじゃないかと、いくらかのパワーアップは必要だけれど、ね。真夜中まで明るいのは、光害と言ったりもするようですし。そういや、うちもLEDランプ導入しましたよ。トイレと風呂場に。
写真の中で光っているのは長野五輪のために建てられたエムウェーブ。あれって、太陽光パネルで造れば良かったのに、反射させるだけじゃ、もったいないよ太陽光。    




クルマだと100円の通行料がかかる五輪大橋。朝夕の渋滞緩和のためにも、できれば無料開放していただきたいものだけれど、諸事情ありそうなので仕方ない。相当急いでいるときや、料金ゲートが閉まって無料となる深夜帯ぐらいしか、まあ、深夜帯だとわざわざ五輪大橋経由しなくても、ルート18も空いているから、あまり通っていないような。そんなわけで、普段はほとんど通行することはないけれど、ある機会があったので五輪大橋を歩いて渡ってみました。
渡り切るのにおよそ15分ほど。見晴らしもよく、ちょっと良いウォーキングコースだと思いますよ。五輪大橋を利用した河川敷ウォーキングコースなんてあったら、良いのになあと、そうも思ったのでした。もったいないなあ、五輪大橋。  


2010年05月22日

道具をつかう。



「ナイフ≒凶器」という図式が刷り込まれてしまっているとしたら、どうにかしてそれを正さないとならない。「切る」「削る」といった作業に欠かせないものなのに、やはり「危ないもの」というイメージが付きまとう刃物を、身近に置き使いこなすことで正しい使い方を身に付けることができると思うのだけれど、なかなかそれがしにくいし、特にこどもたちにとってはそういう機会が与えられなくなっている。
写真のナイフ(OPINEL)は、友人のシブが自らの結婚式で配ったもの。正直「結婚式でナイフとは…」と、少しばかり驚いたが、それを敢てするシブのこだわりに感謝し、それから大切に使わせてもらっている。
シブは農学部で林業を学んでいたとき、道具としてのナイフを山ばかりではなく普段も持ち歩くようになり、そのせいで痛い目にあった。いわゆる「銃刀法違反の疑い」というやつ。運が悪いといえばそうだし、こういう時代だから仕方ないといえばそうも思える。

護身用とか、そういうナイフはなくなれば良い。  


2010年05月20日

リ・サイクリング。



千曲川の堤防道路の脇に、サイクリングターミナルがある。ずいぶん前から使われていない施設。もともとこの辺りの堤防道路は自転車専用(優先か?)道路だったような。それでも、やっぱりクルマばかりがけっこう突っ走るから、危ないなあと思ったこともあった。それで、いつの間にか自転車ではなく自動車の道になったようだ。そのせいなのだろう、サイクリングターミナルが使われなくなったのも。
建物自体の老朽化や耐震などの不適合も使われない理由なんだろうと思いつつ、アタマに「RE」を付けられないかなあと、あそこで信号待ちをする度に思う。サイクリングターミナルのリサイクルというわけでリ・サイクリング。信号待ちした分だけアイデアが生まれている。  


2010年05月14日

枕木とか。



最近、古い材木に惹かれるようになった。この枕木でつくった創作物は、本来花を並べて花壇/花段のようにするらしいけど、今はまだこの通り。これはこれで、枕木の存在感に圧倒されて、ぼくのすきなカタチになっている。
しかも、ここで使われている枕木は、通常の線路の枕木とは異なるもの、らしい。こういうのたくさん持ってきて、何かこしらえたい衝動が…。つくるのは幼い頃からすきなんです、それ以上に壊すのもすきかも知れないけれど。
さあ、枕木とはいかないけれど、なにか適当に材料見繕ってつくるか!  




45年も生きてきてしまうと、何かとやりたいことが溜まってしまうもの。まあ、そんなのはドロップアウト気味に生きるぼくに限ったこたなんだと、それくらいは自覚しているつもり。いよいよ、フリーター(もとい)フリーライターへの本格復帰を目前に控え、それらしい場所にそれらしいスペースを構えてみよう、そう思ったのでした。文字で伝える媒体が紙/書籍からデジタルへと移行しつつあるのだから、デジタル化によりこれまでとは比較にならないくらい容易になるのだから、コンテンツ数はますます求められる、はず。資本や流通に依存したり、制限されることなくなれば、出版のあり方がまったく別物になる、だろう。
そんな先見性があっての事務所のようなもの、探しではなく、ライフスタイルとかライフワークとか、そういう類だと、ぼく自身には妙な確信がある。

だから、洒落て清潔なビルの一室から、ではなくおんぼろの一軒家から発信/発進したいんです。  




こどもの表現にはたびたびやられてしまうけれど、それは絵(落書きといっていいのかわからない)でも言葉でも。そこに大人ゴコロでdesignを加えたら、そんな発想だったんじゃないかなあと、そう思った。展示会が開かれた松本市美術館にははじめて行ったのだけれど、良いところですねえ。日当たりも居心地もすばらしくよいから。松本で活動中の山寺氏(デザイナー/イラストレーター)も、そんな陽気と同じくらい好人物でした。また、何かが始まりそうな気がします。
http://cocorec.jp/index.html  


2009年11月17日

空の色。

 二年前くらいに親父が死んだ。わりと自分勝手に生きた親父だった。その自分勝手さが、無邪気というか少年ぽさというか、僕の親父ならではのキャラクターであったような気がする。なので、恨みなどはない。憧れもない。

 小学校に入学して間もない頃、僕が初めての絵の具を手に入れて喜んでいると、その様子を冷やかしに来た親父がこんなことを言った。

「水には色がないから水色は違う。本当は空色と言うんだ」

 未だにそんなことを覚えている。親父は親父で、小学生のときに兄を亡くしてから長男になり、僕は僕で、僕より早く生まれるはずだった兄が無事であれば、長男である僕は存在しなかった。そんな経緯が互いの人柄などに何らかの影を落としたのか、そのことは良くわからない。しかし、僕は親父に似ているといわれたことは一度もない。

 納骨する際、壷に収められたままの親父の兄の骨も一緒に納めた。戦時中に亡くなった親父の兄は、埋葬にかける手間もなく土葬され、その後になって埋葬した辺りの土を壷に収めたのだという。壷の中は土ばかりではなくて、雨水でも満杯になっていた。僕はそれを墓の中に空け、壷の底に溜まった泥を手ですくった。確か雨だった、それで僕はずぶぬれになって親父と親父の兄の遺骨を納めた。指に付いた泥もできるだけ拭って墓の中に入れた。それで、十代で亡くなった叔父のことを少し思ったりした。叔父は十代のままで、その弟の子である僕は四十を過ぎた。

 あれからもう二年になるのか。


  


2009年11月16日

去り行く秋。

 女郎蜘蛛というらしい、大きな蜘蛛が果てていた。真冬、雪に埋もれた何か支柱の根元を掘っていて、冬眠していた小さな蜘蛛を起こしてしまったことがある。なので、蜘蛛は冬を越すものと思っていたが、この女郎蜘蛛は果てていた。蜘蛛の巣にある幾つかの糸の塊は、蜘蛛の卵なのだろうか。この女郎蜘蛛は産卵して、生命を繋いでから果てたのか。
 嫌われ者の蜘蛛でも、こういう姿は物悲しい。しかし、卵からはまたたくさんの女郎蜘蛛が生まれるのか、それを思うと嫌な気分になるな。やっぱり、蜘蛛は嫌いだ。


  


2009年11月11日

雨上がり。

 なんとなく小雨になったというか、上がったような気がしたのでソウスケと散歩に出掛けた。足の短いソウスケは、道が濡れているだけで腹辺りがべちゃと汚れる、まあ仕方のないことだ、当人だって望んで腹下を汚しているんじゃないんだし。で、途中でこんな看板をみつけた。その看板は立て続けにあった。この辺りは、それほどネコやイヌが捨てられるのか…。
 ソウスケをそこそこの散歩で満足させてから(僕のまったくの主観的判断である)、ツタヤに入った。それで、ベストセラー本などをチェック。ムラカミハルキの最新作をはじめて手にとってみた。青豆だか空豆だかが登場していた。それだけ確認して、その本を置いた。あと、7、8冊をパラパラと。
 捨てイヌと捨てネコ、そして今年刷られたベストセラー。ツタヤのほぼ隣にある薄暗くなった校庭では、三人の小学生がプレハブの屋根の上で楽しそうにしていた。一人がプレハブの屋根から飛び降りた。今どきの小学生は、こういう危ないことをしないと思っていた。けれど、僕が子どもの頃と変らないみたいだ。
 僕が小学校を卒業したとき、古い校舎は取り壊しが決まっていて、それで最後の卒業生となった僕らは春休み中に忍び込んで窓ガラスを割ったり、壁板を剥がしたりした。僕は窓から外に飛び出て、自分で割ったガラスで掌を深く切った。尾崎豊がデビューするずっと前のことだ。反体制、そして反逆のシンボルとして窓ガラスを壊すなんて、本当にやってみた僕にはまったく理解できない。尾崎はきっと校舎の窓ガラスなど割ったことないんだろう。やってみればわかる、そんな格好良いものじゃないから。
(捨てイヌ、捨てネコのことを思いながら書いたら、なんだか感傷的になっちまったな)