2012年03月08日

やさしさ。

やさしさ。
 つよくないとやさしくはなれないんだ、と思った。けれど、そのつよさ故にまったくやさしくない人だと誤解されてしまうことがある。仕方ない事だと思う。誤解することの多さと、誤解されることの多さ。そのいずれかを選ぶのだとしたら、ぼくは「誤解される」ことの方を選択するだろう。他者のそれは許す事ができる、から。
 小説を書くのなら「うれしかった」とか「さみしくなった」とか、心情をそのままの言葉で伝えようとするのは工夫がないというより、読む人の想像力に響かずただただ退屈になるから、絵を描くような描写が望ましい、らしい。そのようなことを川上弘美はそのエッセイの中で言っていた、と思う。隣の部屋にそうすけ(犬)がいるのはわかっているんだけれど、さっきまで聞こえていた寝息が聞こえなくなっている。以前撮った写真の中から、小布施の地蔵さんをみつけたから、それをこのブログに貼り付けたという、その理由。そこにはそれぞれに「さみしくなった」と「うれしかった」がある、ぼくはそれを思って書いたのだし。
 編集者は「伝える」ために働くのだろう。そして、伝えることでそこに生まれるはずの「共感」。それを生み出すことができないと諦めるとき、ぼくは編集者を諦めることになる。

 一通の手紙を頂いた。ぼくに伝えるためだけに書かれた手紙。まあ、手紙というものはそういものだから、とも思うけれど、自分と知人とまったく知らない人のために書くことに慣れたぼくにとって、その一通の手紙は忘れていた感覚を思い出させてくれた。自分の思いを真実のまま鷲掴みしてそれを真っ直ぐに投げ込む、そこにある、というか感じられるやさしさとつよさ。ぼくはまだまだ弱虫なんだな、ここで「弱虫」といってみたのは、その弱さの真相/深層を覗かれないようにするための小さな工夫でしかないけれど。

 長野市には東町と西町という文字通りに隣り合った地域があって、ぼくが居るところは西側なので「西町編集室」と名乗ってみただけなんですよ。それを「良い名前だね」と感心というか褒められてしまうと、恐縮するというか。いつの間にか、あのとき編集長だったあなたの年齢を今のぼくは越えていますが、ぼくは未だにあの頃となにも変わらない、駆け出しの編集者のままです。成長しないところがぼくの長所だと思うので、これからも駆け出しのまま突っ走りたい、と。お手紙、ありがとうございました。目に染みるこの頃の空の青さより、ぼくをうれしくさせてくれました。空閑さん、おかげで良い本がつくれそうですよ。


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Posted by sousuke at 04:50│Comments(0)
 
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