
ぼくは、これまで飲み屋の真似事のようなことを2度やってみたけれど、経営的には2度ともうまくいかなかった。というのは、商売としてそれをしようとしたわけではなく、ぼくにとって都合よく飲めるスペースがほしいというだけで飲み屋の真似事をしたから。失敗の理由はわりと明らか。それで、これから暖かくなったらまたそんなスペースを開こうと思っている。失敗は成功の轍であり、三度目の正直という言葉もあるしね。
長野西町という場所に編集室を構えて、そこには小さなガレージや井戸のある中庭もあったりする。寒い冬はともかく、春夏秋であればけっこう心地よく過ごせそうだと思う。ガレージには古くて相当くたびれた木製の作業台があり、それこそビールや冷酒が似合いそうな佇まい。酔って座ると転がり落ちそうな椅子もいくつか用意した。音楽はまあ、そのうち誰かがターンテーブルを持ってくるだろう。自作のアンプも持ち込まれるに違いない、近藤さんのところにはテルミンがあるといっていたな。面倒なときは、PCに任せておけば良い。音楽が無くたってぼくは飲めるけれど、音楽がほしい人は各自で用意すれば良い。同様に飲みたいものも各自で用意していただこう。ぼくは自分で飲みたいものしない用意しないよ、暑い期間だけはドラフトのサーバーを置いておきたいけど、そうすると仕事もそっちのけになりそうだからやめておく。生ビールが飲みたいのなら、この周辺にいくらでも飲ませてくれる店はある。
10年ぐらい前に閉じた権堂のすみれ堂というバーは、けっきょく他人まかせにしてしまい、ぼくは、ぼくの店の周りをぐるぐる飲み歩いただけだった。なので、今度こそぼくは、ぼくのために酒場をやる、それを貫こうと思う。自分が飲むための自分の飲み場。まあ、誰かが来たって良いさ。話があるなら話しても良いし、誰かの気配を感じながら独りで飲みたいのならそれはそれで良い。大勢で大騒ぎするのはなしだよ、正直いうとそういうのはあまり好きじゃない。ぶつぶつ独り言をいうか、その独り言が届くくらいの範囲に誰かが寄り添ってくれるか、それくらいがちょうど良い。
近々、1000人単位の飲み会があるそうだけど、街の活性化を酒飲みの酔っ払いに任せて良いのでしょうかね。ぼくなら気の置けない数人の友人知人と、付かず離れずの距離感で酌み交わしたり、手酌で飲んだりするな。1000人もの飲み仲間は要らない、多すぎるよ。
さて、それがいつ頃オープンするのははまったくの未定ですが、そのうちあそこのガレージの扉が開いて、犬一匹とひと一人が何かをはじめます。そういわけで、そのときはよろしく。
この写真の人物は必ずそこに現れて、これほど以上の大きな笑顔で酔っ払ってくれるでしょう。それがいちばんの楽しみだったりして。

何かを伝えることの難しさを痛感しているところです。「じゃあ、何か書いてみるよ」と言ってみたものの、それで僕ならその何かをすらすらと書けてしまうよなきっと、と過信していたのに書いては止め書いては止めの繰り返し。いつも、どうでも良いことばかりを書いているから、何かを伝えようとそれを強く意識してしまうだけで、何をどう書いたら良いのか、それがわからなくなってしまって。
そんなときは、気分転換として善光寺まで歩いていこう、それで、誰かが僕の隣にいて僕はその誰かを感じながら歩く。その誰かとはいったい誰なのか。もしかしたら、誰もいなくて独りだったかも知れない。それでも、誰かがいるような気分になれば、それはそれで温かな気持ちになれそうなんだけれど。権堂アーケードでも良い、独りではなく誰かと一緒になって歩く。多人数ではなくて二人だけで並んで歩く。
やっぱりだめだな、今日はこれ以上書けない。これだけ書いておいて、それでこのまま放っておくことにします。いつもそうすけ(犬)を放っている僕は、とうとう自分の言葉まで無責任に放り出してしまう、そんな有様。でも、仕方ないんだよ。言葉には「誰かに何かを伝える」という役目がある、というのは錯覚に過ぎないからね。何かを伝えようと思ったのなら、言葉には頼らない方が良いんだ。つまり「真実でさえ言葉にすると嘘になる」ということ、そう言ったのは昨日の僕なんだな、たぶんそう。
(今日のブログ、読んでしまった方々にお詫びします。すみませんでした、出直してきます)

まったくだらしなく書き散らかしたりしたものを、今更どう繕えば繕えるというのか。善光寺参道前の信号は赤だった。けれど、渡ってしまっても何ら問題はない、誰もどの自動車も通ることのない時刻だから。とはいえ、青に変わるまで待とう。
青になったから、そんな理由で道を渡る。青にならなければ、ぼくは一生その道を渡ったりしないのか、それこそ愚問、渡りたければ渡るそれだけのこと。
「いまどきの人は甘い人生に浸りきってる」というようなことを荒木スミシはいう。ぼくもそう思うし、ぼくも浸りきっている。要は、それを現実としてしまうかどうかってことだ。現実はどこになるのか、それすらぼくには分からない。

本をつくる、と決めてからもうずいぶんと過ぎたような気がするけれど、それはそれで意味のある時間を過ごしたんだよなと言えるのか、というような自問自答。そんな折に、「就職が決まった」との報告を受けて、そのお礼にと日本みつばちの蜂蜜をもらった。これは熱い紅茶に入れたりして、大切に頂くことにしようと思う。とにかく、一歩前進は良いことです、そろそろぼくの方も前進しないとね。
何年も前に三谷映画の「マジックアワー」を劇場で観た。佐藤浩市のコメディはわりと楽しめたりで、それでまた「人生の見せ場/マジックアワー」について、そんな夢を失わないことの意味などを考えさせられたりもして、そんな感じだった。つまり、夕暮れ時こそ人生最高の見せ場という、そんなことですら日頃から「どんなふうに生きていきたいのだろうか、このぼくは」と考え込んでばかりいる者にとっては、無理矢理にでも納得したがっている、そのような寄り所としての「マジックアワー」なのか、そうなんだろうなあ、たぶん。
さて、ぼくにとってのマジックアワー、もう終わったのか、それとも…。センチメンタルは、中年男性の特性ですと言ったのは、このぼくです。そんなセンチメンタル(というジャーニー)。

昨夜、ある人物からぼくのこのブログについてのご意見を拝聴した。「最近なんかまともなこと書いてるね、以前の自虐ネタぽい方がよかったなあ」という感じ。まあ、ブログを書く人もいろいろいれば、それを読む人だっていろいろ、というわけだから「最近のはあまりおもしろくない」と言われれば、それはそれで甘受します、けれど。
しかしながら、そんなぼくの自虐ネタへの期待も裏切れないなあ、と思うので、その「自虐」というのを頭の片隅に置きながら、今日のブログを書いてみようと思う。
とはいえ、早々にはそんなネタがみつからないので、諦めてしまおう。そんなわけで前回の続きっぽく、父親のことを書きます。ぼくの父親はそうとう自由奔放な人物で、テレビの写りが悪いからといって、そのテレビを2階から投げ捨てたり、もちろんブラウン管ごと砕け散ったのだけれど、他にもそれ以上の武勇伝が数々あった。父は自営で商売をしていて、たまに見習いの人がやってきて仕事の手伝いなとをしていたのだけれど、その人の小指が不自然に短い、とか。バリバリ働いてバリバリ呑んで食って、それでバリバリ遊んでいた、ようだった。毎週必ず焼肉や寿司の外食をしたりして潤っていたときもあったが、急転直下で作業所も住居も失うことにもなった。そんな父の子どもであったぼくも、そんな大きな波のうねりにのまれたりしながら、まあなんとか無事に育ってきたわけです。
それで、そんなぼくもいつの間にか父親になっていた。どのように写っているのだろう、ぼくの子どもからみた父親としての、ぼくは。
それで今日の、空の色。どんよりとした雲からは、今にも雪が降ってきそうな気配がしました。
(このブログじゃあ、またまたあの人物からクレームだな…)

定職もなく携帯電話を持たない人物のことを「社会不適合者」と決めつけて良いのか、といきなり切迫した書き出し。これは、つい先日ぼくの知人が別の知人に対して吐き出してしまった「社会不適合者なんですねぇ」というまったく不適切で遺憾な言葉をヒントにしたというだけなのだけれど、現代という社会においては定職に裏付けられた安定収入に加え、携帯電話も社会性に密接に関わる最重要なアイテムと、周知されているということ、なのだろうか。
そもそも携帯電話が普及する前は…、というような懐古主義に浸ることこそあまり意味がないとは思うのだけれど、それでもまあそういう考察もアリじゃないのかなあ、ということで、携帯電話が普及していない頃は今よりもっと「約束事」を大事に思っていたような気がする。それで、時間の使い方も上手だったんじゃないかな。それが、時間の使い方ばかりではなくコミュニケーションの相手に対しての配慮というか、「ちゃんと物事を伝えよう」とする気構えにも繋がっていたようにも思えるし。
現代の社会性を象徴するアイテムである携帯電話によって、ぼくたちの社会性は失われているのだ。
と言ってしまえるほどの自信は微塵もないのですが、そんな感じはするんだよなあ、と対して美味くもない酒を飲みながら、つぶやいてみたいなあ、と。
それで、写真はいちいち携帯電話を撮ってもつまらなそうなので、「社会不適合」的なイメージカットを探して添付してみました。まあ本道ではなく「隙間」という感じ。

自分の存在を「我思う、故に我あり」などと言うように、わざわざ確認しなければならないほど、誰もが懐疑的になり過ぎている昨今。頭の中で考えをぐるぐる巡らせるよりは、掌を見てほっぺを抓れば、それで良いんじゃないかと、そう思うのだけれど。悪いことばかり起こっているような気もするし、そうでもないなあと楽観もでき、動く前に考えてばかりいられるのは、まったく悪くはないと思うわけで。
野に生える草は、たとえば太陽に向かって伸びていこうとする。そこに「故に太陽あり」との思考はないはず。考えるべきことが多過ぎるように思えるのは、それ故人間であるということの証みたいなものなのか。たった一つの人格なのに、人称ばかりは二つも三つも気にしている。面倒臭いなあ、人間って。それで、そういう面倒臭いのが嫌いじゃないんだよなあ、ぼくは。

切り株の中に、なにか別の世界というか、ぼくの居る宇宙とは異なる宇宙をみたような気になり、それで写真を撮った。蟻ぐらいの大きさになって、この宇宙の中で二、三日過ごしてみたいけれど、それは空想でしか成り得ない世界観。だから、ここでは「宇宙」ということにした。
悪者は真に悪いのか、または、その逆は。いまどきは、悪者を必要としているそんな時節なのだろう。悪者が暗躍することを指しているのではなく、社会が排除すべき対象としての悪者。つくられる悪者が存在し得るとしたら、やはりそれを認め、それに縋ってしまう社会の方がよっぽど悪者だろう、と思った。
この切り株の中の宇宙には、悪者は、悪者を求める社会は、存在しないと思いたい。たった半径15センチほどの宇宙なのだから、それを妄想と決めつけることは止めておこう。

ぼくは生まれてこのかた、四葉のクローバーをみつけたことが一度もない。探してみたことはあるけれど、みつかるまで探すことはせずに、すぐに諦めて探すのをやめる。きっと、このまま一生四葉のクローバーをみつけることはないと思う。
そのクローバーにも花がつきはじめた。それをぼくはみつけた。白い花だから、きっとシロツメクサなんだと思う。花のことにはちっとも詳しくないけれど、たぶん合っていると思う。
花といえば、ぼくはひとに花を贈ったことがない。見舞いとか、墓参りとか、そんなときしか花には縁がない。ただ一度だけ、友人が恋人の誕生日に贈るための花を、なぜかこのぼくに依頼してきて、それで花屋へ買いに行ったことがある。確か、権堂アーケードのイトーヨーカ堂の近くにあった花屋で、今はもうない花屋。ただ、そのへんの雑草のような花だったから、花屋で売っていたりはしなかった。それで、ぼくの母親に相談してみたら、近所の小学校にたくさん咲いているということがわかった。
ぼくと友人は夜の小学校に忍び込んでその花を抱えきれないほどいただいた。それが花泥棒なのか、ただの草取りなのかは、今になってもよくわからない。それから、抱えきれないほどの雑草のような花を、夜中にこっそり友人の恋人の家に届け、黙って置いて帰った。
その後、その友人とその恋人は東京で一緒にしばらく暮らした。でも、結局別れた。それで、友人の方は別の人と出会い結婚し、川崎辺りに家を建てて住んでいる。その恋人だった人は、出版関係の会社に勤めて雑誌のレイアウトなどを担当していたらしいが、今はなにをしているのか。
家の前に山盛りの雑草のような花が置かれている、そんな朝のことを、
恋人だった彼女は覚えているだろうか。
シロツメクサのまだ咲ききれない花を見て、そんなことを思った。
(というのは嘘で、この写真でなにか書こうと思っただけです)

りんごを畑の横に放っておくと、1日くらいでこうなるようです。鳥たち、特によく現れるのは百舌で、それがこんなふうにきれいにりんごの中身だけ食べる。やっぱり皮はきらいなのかな、きれいに残してあるし。
「皮と実の間の部分がいちばん栄養あるんだよ!」というのはホントかどうか、りんごのことか別の野菜か果物のことか、よくわからないけれど、そんなこと鳥たちに教えてみたって、皮だけはきれいに残すよ。あいかわらず、ね。そういうあなたはりんごを皮ごと食べますかと訊かれれば、皮のあるなしに関わらず、りんごはあんまりすきじゃない、と応えるしかないぼくでした。

タンポポって、確か食べられたんだよな。ぷちんと茎を折ると、白い液が出てきて、それがなんだか痛々しいから、摘む気にはなれないんだけど。そうすけ、一見タンポポに興味をもってその黄色の花の香りを嗅いでいる、ようにも見えるけれど、ただタンポポの花がある辺りの匂いが気になって、それでくんくんとしているだけ。
北アルプスは真っ白な雪渓に被われ、飯綱山の桜は今も満開で、ぼくらが暮らす里は暑かったり肌寒かったりで、そんなことには喜びもせず呆れもせずに、ただたんたんと暮らしたいなあと思う。もしかしたら、ただ騒ぎすぎているだけなんじゃないかと、そんなことを思う今日とこの頃。
今日もまた、たんたんと過ごせるそんな一日でありますように。

種になった蒲公英をみつけたら、すぐにでもむしってふうとやったことだろう。その種はどこに飛んでいくか知らないけれど、どこかへと飛ばしたくなってふうとやる。地蔵峠でみつけた蒲公英は黄色のまま咲いていて、家の近くの公園でみつけた蒲公英は、ふわりとした種になっていた。この頃、種をまきたいというのじゃなくて、種をふわりと飛ばしてみたいと思う。どこまで飛んでいくかわからないような種。
飯綱からのかえりみちに出会った地蔵さん。目新しい赤い頭巾を被っているけど、顔がなんだかざらざらのっぺりで、それだけ長い間この場所にたたずんで、いろいろなことをただただ見守ってきたのだろう。そんな地蔵さんとの出会いがあって、それを眺めているとぼくに何かを伝えてくれているような、そんな気がするのでした。で、お地蔵さんの向かい側には無人の野菜売り場があり、ぼくはそこで大玉のキャベツを買ってみたのです。一玉百円也。この時期の野菜って甘いんですよね、とっても美味しくいただきました。
出会いといえば、昨日もまた…。それも、きっかけは…。「どちらでお知りになりましたか?」って、どうしてそーいうこと訊くのよ(笑)。
出会いといえば、昨日もまた…。それも、きっかけは…。「どちらでお知りになりましたか?」って、どうしてそーいうこと訊くのよ(笑)。

作者が言うのだから、それでいい。題して「溢れる命」。とある水鳥公園(仮称)にあるブロンズらしき像に付けられたタイトルだ。命が溢れている、なんてまさに元気百倍アンパンマンである…。しかし、僕にはそう見えない。水鳥と鳩と女子と男子の姿からは、共に生きる調和というか、安心感のようなものを感じるけれど。水鳥は羽を休め、鳩は飛び立とうとし、女子と男子は手を重ね合う。それも、天に向けて。
まあ良いのかもな「溢れる命」でも。未来は明るい、そんなイメージについては共感できるし。それより、僕が評し論ずること自体まったく意味がない。そんなあきらめの秋、なんてね。秋って罪深いよ、僕にこんなブログ書かせるんだから…、そんな秋から冬に移る今日この頃。ただ寒いだけの季節&当ブログ、それと男子の半ズボン。
まあ良いのかもな「溢れる命」でも。未来は明るい、そんなイメージについては共感できるし。それより、僕が評し論ずること自体まったく意味がない。そんなあきらめの秋、なんてね。秋って罪深いよ、僕にこんなブログ書かせるんだから…、そんな秋から冬に移る今日この頃。ただ寒いだけの季節&当ブログ、それと男子の半ズボン。

大雨の中、善光寺界隈をソウスケと廻った。僕は傘を差していたけれど、足元や肩の辺りが濡れ、傘のないソウスケは、途中幾度も身震いをして水気を掃っていたけれど、濡鼠のようになった。一時間ぐらい雨の中を歩いた。合羽を着た人たちが水路の流れを妨げる落ち葉を取り除いているのを横断歩道橋の上から見たり、ウォーホルの「キャンベルスープⅡ」を転写したポップアート展のポスターを眺めたりした。芝生の小さな広場にはステンレスと天然石でつくられた彫刻が並んでいた。その一つには「アニマル」というタイトルがつけられていたが、何がどうして「アニマル」なのか…。その「アニマル」を含め、すべて僕にとっては意味のわからない作品だった。そこにソウスケは小便をかけた。作者に申し訳ないと思った。
帰り途、クルマの中でソウスケはとても眠そうにしていた。僕は濡れた毛だらけになった助手席のシートを見て、ため息が出そうになった。そんな雨の土曜日。
ちなみに、城山公園は「イヌ立ち入り禁止」で、善光寺は「イヌの糞はお持ち帰りください」でした。
帰り途、クルマの中でソウスケはとても眠そうにしていた。僕は濡れた毛だらけになった助手席のシートを見て、ため息が出そうになった。そんな雨の土曜日。

ちなみに、城山公園は「イヌ立ち入り禁止」で、善光寺は「イヌの糞はお持ち帰りください」でした。
雨である。なので、自宅でじっとしている。じとー、ではなくじっと。雨に濡れている自転車を写してみた。水滴がレンズに付いて、それも写ったが結局何が撮りたかったのか、まったく分からない写真になった。
昨晩、ブックオフで買っておいた文庫を読んだ。「なぜ『いい人』は心を病むのか」町沢静夫著。自分のことを省みようとか、自分の中にあるかも知れない『いい人』的な部分をみつけようとか、そんなわけではなくて、ただタイトルに興味を持ち、それにレジ前の105円コーナーで売っていたから、手にとってみただけ。ニンゲンの脳は発達しすぎてストレスなしでは生きられない、自分はいい人だというような思い込みが心の病の原因、子どもの心が未熟なままなのは父親不在となった家庭環境のせい、うんぬん。まあ、それほど単純に決め付けているわけじゃないけど、掻い摘めばそういう感じかと。精神科医である著者は、病気の治療には取り組むけれど、心の病を引き起こした環境のことには、あえて関わろうとしない。不倫のせいで鬱になったと思われる主婦のケース、不倫相手のことを著者に相談して突き放され自殺したOLのこと。心の病は社会のあり方などというものと密着しているようだから、医療行為とそれを区別し割り切るのはとても困難なことなのだろう。著者は、この著作によって医療の現場では手が付けられないたいせつなことを、多くの人に知らせようとしたように思える。
考えてばかりで答えを見つけることができないのに、それでも考えてしまう。もしくは、自分のスタイルや考え方のみを信じ込み、考えることをしない。探し続けるか、突き進むか。どちらにしても結果は大して変わらないような気もするが。いや、そんなことないかも…。
昨晩、ブックオフで買っておいた文庫を読んだ。「なぜ『いい人』は心を病むのか」町沢静夫著。自分のことを省みようとか、自分の中にあるかも知れない『いい人』的な部分をみつけようとか、そんなわけではなくて、ただタイトルに興味を持ち、それにレジ前の105円コーナーで売っていたから、手にとってみただけ。ニンゲンの脳は発達しすぎてストレスなしでは生きられない、自分はいい人だというような思い込みが心の病の原因、子どもの心が未熟なままなのは父親不在となった家庭環境のせい、うんぬん。まあ、それほど単純に決め付けているわけじゃないけど、掻い摘めばそういう感じかと。精神科医である著者は、病気の治療には取り組むけれど、心の病を引き起こした環境のことには、あえて関わろうとしない。不倫のせいで鬱になったと思われる主婦のケース、不倫相手のことを著者に相談して突き放され自殺したOLのこと。心の病は社会のあり方などというものと密着しているようだから、医療行為とそれを区別し割り切るのはとても困難なことなのだろう。著者は、この著作によって医療の現場では手が付けられないたいせつなことを、多くの人に知らせようとしたように思える。
考えてばかりで答えを見つけることができないのに、それでも考えてしまう。もしくは、自分のスタイルや考え方のみを信じ込み、考えることをしない。探し続けるか、突き進むか。どちらにしても結果は大して変わらないような気もするが。いや、そんなことないかも…。
