
めずらしく独りで呑んだ。その店には次々に人が入ってきて、いつの間にかカウンターまで一杯になっていた。トイレで懐かしい顔に出会った。設計会社を辞めてまったく異種の会社を親から引き継いだと聞いていた。握手を交わそうとしたら、「まだ洗っていなかった」と照れながら言って手を軽く洗い、それから「久しぶりです」と握手をした。相変わらず気さくで良い人だった。
冷酒を流し込んでから、温めの燗酒を二本やってまた冷酒に戻った頃、隣の席に出版社の方が座った。それで、同業者ということでいくらか話した。共通の知人もいたが、本づくりについての考え方には交わるところはなかった。先日発行されたその出版社の雑誌には注目すべき地元企業が取り上げられていて、知人の会社も「エコな会社」などという、そんな言われ方で掲載された。その知人に頼まれ校正をして差し換えのための原稿も書いた。それで、仕上がった雑誌を見せてもらったけれど、残念ながら売れない雑誌であることはひと目で分かった。その出版社の方にそれを伝えなかったのは、遠慮したわけではなくてそんな特集を組んだことすら知らなかったからだ。その方は亡くしてしまった妻のことをひとしきり話した。「もともとは編集者ではなくてデザイナーだった」とそんなことを打ち明けた。
帰り途、散歩中の知人とその母に逢った。あまりに酔っていたので何を話したか良くは覚えていない。なぜかその母と握手をしたような記憶が残っている。それで、「あまり呑んでばかりいたら駄目ですよ」というようなことを、言われたような記憶もある。そんな気遣いが有難いと思えるのは、酔ったおかげでで子ども並みの素直さを取り戻したから、だろう。けれど、このぼくを生んでくれたぼくにとって本当の母がまったく同じことを言ったとしたら、ぼくはきっと素直に聞いたりはしないはず。それを思ったら、すこしかなしい気持ちになった。
帰宅後、よせば良いのにパソコンを起動させて何かを打ち込もうと試みるも、酔いが深くまわったせいでキーボードが上手く叩けずむかつく。それで、結局そのキーボードを壊してしまう。いま「P」のキーが毟り取られたパソコンでこのブログを入力しています。これから探してみます、失くした「P」を。

何かを伝えることの難しさを痛感しているところです。「じゃあ、何か書いてみるよ」と言ってみたものの、それで僕ならその何かをすらすらと書けてしまうよなきっと、と過信していたのに書いては止め書いては止めの繰り返し。いつも、どうでも良いことばかりを書いているから、何かを伝えようとそれを強く意識してしまうだけで、何をどう書いたら良いのか、それがわからなくなってしまって。
そんなときは、気分転換として善光寺まで歩いていこう、それで、誰かが僕の隣にいて僕はその誰かを感じながら歩く。その誰かとはいったい誰なのか。もしかしたら、誰もいなくて独りだったかも知れない。それでも、誰かがいるような気分になれば、それはそれで温かな気持ちになれそうなんだけれど。権堂アーケードでも良い、独りではなく誰かと一緒になって歩く。多人数ではなくて二人だけで並んで歩く。
やっぱりだめだな、今日はこれ以上書けない。これだけ書いておいて、それでこのまま放っておくことにします。いつもそうすけ(犬)を放っている僕は、とうとう自分の言葉まで無責任に放り出してしまう、そんな有様。でも、仕方ないんだよ。言葉には「誰かに何かを伝える」という役目がある、というのは錯覚に過ぎないからね。何かを伝えようと思ったのなら、言葉には頼らない方が良いんだ。つまり「真実でさえ言葉にすると嘘になる」ということ、そう言ったのは昨日の僕なんだな、たぶんそう。
(今日のブログ、読んでしまった方々にお詫びします。すみませんでした、出直してきます)

「2月はいじけるための月じゃないの?」そんなことを誰かに言われた。その誰かは2月生まれではないのだろう、たぶん。だから、「いじける月」なんてつまらないことが言えるのだろう。僕は2月生まれなので、そんな僕が生まれた月が「いじける」ための月だとしたら、浮かばれないような気分になってしまう。その誰かは何月に生まれて、それでその生まれ月は「何のため」の月なのか、機会があればその誰かに尋ねてみようと思う。まあ、そんなこと尋ねたりはしないけどね、実際には。
なにか良くないことが立て続けに起こってまいっちゃうんだよとか、悪い予感に限って的中しちゃうんだよなとか、自分にとっての都合の悪さをどう受け入れてそれでまたそのことにめげないようにして、転んでもまた立ち上がって歩き始めるには、「いじけてみることも必要なんだよ、たぶんね」と、その誰かは言いたかったに違いない。なので、僕は僕の生まれた月に、あともう僅かしか残っていないけれど、いじけることに費やそうかな、とも思っている。でも、どうすればいじけることができるのだろうか。いじけるってどういうことなのか、自らの到らなさを省みて、そのことに絶望にならない程度に失望すれば良いのだろうか。そんな取り留めのない想いが駆け巡ってしまう、ダメだな僕は、馬鹿でしかないんだな僕ってやつは。
雪遊びが好きでたまらないそうすけ(犬)は何月生まれなのか、保健所から譲り受けたという事情のため生まれた月どころか年齢も不明。でも、なぜだか2月生まれのような気がするんだな。冬に犬が子犬を産むのかどうか、あまり聞いたことはないけれど、どうせわからないなら良いんじゃない、僕と同じ2月生まれってことで。

いろいろな想いが交差して、それで僕はその想いのせいでがんじがらめになる。というのは、たぶん交差していると思い込んでいるせいで、この僕に想いを向けたりする人など、交差するほどはいないのに。
好きとか、そういう想いの丈を伝えたいのか、そうでもないのか。
冷やかしで「もてるんでしょ」と言われ、そのことに愛想笑を浮かべ、そんな自分に愛想尽かす、とか。いつまで、そんな無邪気なふりをしていられるのだろうか。現実はたぶんそこにあるはずなのに、その現実の中にどっぷり浸かって生きることを容易に受け入れないのなら、その現実はますます見えにくくなる。
何かを好きになってしまうこと、それをしないようにと自分をコントロールしようとする試み。その狭間にある、小さな混乱。犬でも、車でも、映画でも音楽でも酒でも、もちろん異性でも。好きになるということは、幸せなことなのか。そんな幸せすら、錯覚でしかないのか。もしくは、偶像なのか。
そんな想いが交差するところに、いま僕は居るのか。
いまさらになって、自分の幸せを願うことはないけれど、誰かには幸せになってもらいたいなあ、とそれを微かに思う。べつに格好をつけているわけではないけれど、いまはそんな言い方しかできないんだよ。

先日のブログ「現実逃避」については、直にリアクションがあったりした。まあ、現実逃避というタイトルがいささか刺激的であったのは確信犯的なものだし、それで「新井さん(ぼくのこと)何かあったの?どうかしたの?」と言われ、それに対しては「なんで?(ぼくの口癖でもある)」と返すしかなく、それで「ブログでさあ…」ということになれば、「ああそうか、あれね。あれはねえ…」と、わざわざブログに書いたことの解説が始まるという有様。
人はどれほど現実の中で生きられるのか。実際にその現実の中で生きちゃっているじゃないか、というご指摘はおっしゃるとおりなのだけれど、そういうことではなくて、現実の捉え方というか、直面している現実をまっすぐに見ることができるか、斜からなのか、そんなニュアンスで理解することもできるんじゃないのか、ということ。どこかで、自分にとって気持ちが良い部分や居心地が良いと思える部分、そのあたりを中心に切り取って、残りの現実を知らん振りする術を身につけ、まあそれが実社会・実生活を生きるというための術であることは肯定できるのだけれど、その知らん振り部分の現実が、知らぬ間に(それは知らん振りしてるからそうなるんだけれど)、己の身とか心とかを蝕んでいる、それを思う昨今のぼく。
わざわざやや難解なフィロソフィーを気取った、そんな文章を寒い朝からすらすらと書く、そんなぼくには当然何かしらの意図があるので、これを読んでいる方々は気をつけた方が良いよ(笑)。そんなわけで、そうすけ(犬)はまだ眠っていて、隣の部屋からその静かな鼾が聞こえてくるおかげで、ぼくは寒い朝でもこんなにも無意味な文章を書くことができる。さて、これを読んだ人々から、また何らかのリアクションをいただくことができるのでしょうか。それが楽しみだったり。
当ブログでは、校正もせず書きっ放しでアップしているという事情から、また、具体的な読者の想定がまったくないため、書いた本人がわかれば良いんだという構成になっており、言葉足らずで誤解を招く、
などと書きながら、その誤解というのは、読む側の経験則の影響でもあり、誤解≒解釈もしくは感じ方の違い(こういうとき横書きは便利だなあ)であることも多いので、その誤解を解くなんていう気はなかったりする。
つまりはまあ「恋をすると相手の良いところしか見えない」「嫌いな人はただ気持ち悪く臭いだけ」「占いだけで幸せ/不幸せな気分になる」というようなことがあるように、現実がどうであれ、その受け止め方はその現実より受け手である人の心持ち次第なんだな、というだけのこと。
「なんかラッキー」と思ったときの幸福感って、そのラッキーな現実以上でしょ、たいてい。そんなラッキーがあると良いですね、ぼくにも(あなたにも)。
have a lucky day ! (Etcのダイス先生、この英語でOKですか?)

ときに、人は強烈なリアルに遭遇するとその現実から身体はともかく精神のみを逃避させることで、自らの精神が破綻しないようにする、のではないかと。つまり、強烈なリアルによって、そこから現実逃避が導き出されるという具合。耐え難い痛み、それは心身いずれの場合であっても、その現実に対して鈍感もしくは不感症のようになることで、耐性を持つというだけのことかもしれない。それがいわゆる「慣れ」というものなのか。
それで、自分だけが鈍感だという自覚症状さえないままに、そんな自分だけが気付かず周囲がひいてしまう様は、ある種の残酷さを含むようにも思えるが、それすら自業自得なのだろう。「自分にとってはたわいもないこと」「どうでも良いと思えること」の範疇が、やたらに広範囲でそのせいで他者を傷つけることになったとしても、傷つく者にとっては傍若無人な振る舞いでしかないのだし。
つまり、このぼくは乱暴者なのかデリケートすぎるのかという自問自答なのだけれど、まあ結論はとっくに出ていたりする。ぼくは残酷であり、繊細でもある(なんて自意識過剰も良いとこだ)。

ぼくの父親が死んで、4年余りが経った。当時、脳梗塞と腎臓の機能不全その腎臓も2つあるべきものが、約20年前に腎臓癌がみつかったことによってその1つが切除されていたから、片方の腎臓で血液の浄化をしていたことになるのだけれど、しかも、ぼくの父親はいつも過剰な塩分を摂取していて、つまり何にでも醤油をかけてしまうという塩辛い物好きで、味噌汁にさえ醤油をたっぷり注いで真っ黒くしてしまうほどだったから、片方しかない腎臓への負担は相当だったはずで、脳梗塞の障害さえなければ迷うことなく人工透析を行っていた、それくらいの状態であったというのに、ほぼ寝たきりで改善する見通しもなかったからそれを行わなかった。
その日は担当医に呼ばれ、こんなことを告げられた。
「お父さんの腎臓の状況は日に日に悪化していて、このまま人工透析を継続的に行うことをしなければ、最悪の事態も避けられない状況です。今すぐとは言いませんが、そろそろそういうことになる可能性は高い、それを承知しておいてください」
それを聞いて、ぼくはそんなものかとだけ思った。それから、父親の病室へ行きほぼ意識の無い父親に、
「また来るから」
と言って帰った。父親はぼうっとしたままで、それでもぼくの言葉には微かに反応していた、そのように思えた。
「ああ」
と言ったのか、それが、わかったよ、という感じに聞こえたから。
そのあと、1時間もしないうちにぼくの携帯電話が鳴った。父が死んだという報せだった。あまりにあっけなさ過ぎで、少し呆然とした。それから、1時間ほど前までいたその病院に戻った。
ぼくは幼い頃から青系の色が好きだった。紺は今でも良く身に着けている。ジーンズが穿きくたびれて濃いブルーから淡いブルーへと変わる様が好きだ。水色というか。それを子どもの頃のぼくが言う度に、父親は大抵こう返した。
「水に色はないよ、空色だ」
空色。今日の空は一段と青いような気がする。 あの厚く重なった雲の上にある空の色。

去年まであった「N/エヌ」という長野の地域SNSが閉鎖する際、ぼくはこれまでこの地域/街で感じてきた不満を、その「N/エヌ」という場に投げかけた。その真意、その一部だけれど、誤解を招きかねないことも承知で、この「ナガブロ」という地域コミュニティの場に書き残す。
「長野/ナガノ」というところは、例えば、山がたくさんあって滑るには最高の粉雪が降るとか、気持ちの良い温泉が豊富だとか、ただ景色がきれいで癒されるとか、そういう魅力がふんだんにある。そんな自然の魅力とは好対照といえるくらい、そこにいる(いた)人々の創り出したものには、魅力を感じにくい(もちろん私見です)。そんな私見は、まあ隣の芝生とかないものねだりというやつである可能性も否めないけれど、中庸を心掛けて自分が今住んでいる場所やそこにいる人々のアクションなどを考察しても、やはり同じような見方に至ってしまう。
それはなぜか。実はまだその答えをみつけていないのだけれど、現時点での思いつきをさらに単純化して言い表すのであれば、つまりは「面倒くさがり屋が多い土地」なのではないか、と。すべての分野や業界がそうであるといいたいのではなくて、ある種の、地域をリードする分野、さらには文化や創造と密接な分野、それで多くの人を巻き込む、もしくは、見知らぬ他人の気を引くことを目的とするもの、何らかの目的を持ったコミュニティづくり、とか。具体的にはメディア関連や、行政の一部も含むコンサルティングのような事業。工程が完璧なまでに整った流れ作業ではなく、自ら考えて、それをカタチにする仕事、とも言い換えられるかも知れない。
で、この土地に「面倒くさがり屋が多い」と言い出してみたのは、物理的もしくは作業的なことで根気がないというのではなくて、本来であれば「コミュニケーション」をもっとも大切に扱うよう、そこを要としたいはずなのに、それに対して億劫になってしまう、面倒くさがるということ。人を集める、ということは同時に揉めごとが生じやすくなるし、クレームや反対意見に応じることを求められたりもする。それを予防する最も有効な解決策として、そのような傾向が強まったのか、そこまでは推測しかねる。けれど、懇意ではない人にはあまり積極的に声掛けをしない、何か問題が起きても我慢してくれる顔見知りで集ってことを為す、そのようなことが目に付く。そんなことは、この「長野/ナガノ」に限ったことじゃないんじゃないの、と思う反面、その傾向はほかの地域より強いような気がする、というだけ。
何度も、くどいほどピックアップしていること。長野市管理の公園には犬が入れない、という件。これも、何かの揉めごとを避けたいという、面倒くさがり屋の深層心理(?)が、犬の立ち入りを拒むというやり方に繋がったのではないか。公園という場所の意義や目的を正面から捉えれば、犬の散歩ができない公園ばかりで、その公園の多くは閑散としていて、ただ建設と管理にばかり費用が注ぎ込まれるという実態も、また、そのようなことに気付いても揉めごとを避けたがってばかりいて、変えることや変わることを本気で(ここですポイントは)求めたりしない面倒くさがり屋の人々。その性質はいつの間にか染み付いてしまって、意識することなく揉めごとを避けるようになっていく。その結果、無意識のままで新しいコミュニケーションの広がり止め、その可能性も潰す。この無意識が、こわいと心底思う。
結局、何にも問題やトラブルが起こらないようなことしかやれない土壌がここにあるのだとしたら、やっぱりその辺から変えたいなあ、と。もちろん、ぼく一人では変えられっこないので、いろいろ揉めながら(苦笑)人々を巻き込もうと、現在それを画策中。
※当ブログを読んでくれて、ありがとうございます。どんな意見、もちろん反論でもうかがいたいので、ぜひコメントをお書き込みください。
追記、
アイデンティティ/自己同一性という意識も薄く、それを認識する場も少ない、のかも知れない。これは、ほぼ独り言(自分に向かっての)です。

まったくだらしなく書き散らかしたりしたものを、今更どう繕えば繕えるというのか。善光寺参道前の信号は赤だった。けれど、渡ってしまっても何ら問題はない、誰もどの自動車も通ることのない時刻だから。とはいえ、青に変わるまで待とう。
青になったから、そんな理由で道を渡る。青にならなければ、ぼくは一生その道を渡ったりしないのか、それこそ愚問、渡りたければ渡るそれだけのこと。
「いまどきの人は甘い人生に浸りきってる」というようなことを荒木スミシはいう。ぼくもそう思うし、ぼくも浸りきっている。要は、それを現実としてしまうかどうかってことだ。現実はどこになるのか、それすらぼくには分からない。
はじめて異性と、つまりは女の子と手をつないだのは、母や祖母や近所の幼馴染というのではなくて、好きだとかたいしてそうでもないんだよなあとか、そういう気持ちを持ちながら女の子に触れてつないだのは、いつだったか。まったく覚えていないのです。はじめて好きになったのは誰かということすら記憶になく、そういえば、誰かを好きになったことなんてあったのか。仮にあったとしても、それは遠い昔に置いてきてしまったんだよな、そんな「好きになる」という感情は。
手をつなぐ、そうするとそのつないだ手が温かくなって、心の方もほっこりとしてくるような、そんな気がするのはなぜなのか。残念ながらそうすけ(犬)は足ばかりが4つもあって、つなぐ手がない。そうすけ(犬)と手をつないで歩いたら、さぞかし楽しくほっこりすると思うんだけれど、それが為せないというは案外さみしい。それで、ぼくは毛糸の厚い手袋をしてそうすけ(犬)とともに雪道を歩くのでした。そのうち、ぼくにとってのつなぐ手がみつかるかも知れない。そんなわけないよ、と思いつつ。
それでも、手をつなぐのって「守ってあげたい」とか「守ってね」とかいう、お互いの気持ちの確認作業のような感じもする。「作業」なんていう言い回しは、あまり好きじゃないんだけれど。そのことを急に思い付いたので、このブログに書き記しておこう。それで、つなぐ手がある人々は、その手をやさしくしっかり握ってください、そして…。