2010年06月16日

ほっぺを抓ってみる。



自分の存在を「我思う、故に我あり」などと言うように、わざわざ確認しなければならないほど、誰もが懐疑的になり過ぎている昨今。頭の中で考えをぐるぐる巡らせるよりは、掌を見てほっぺを抓れば、それで良いんじゃないかと、そう思うのだけれど。悪いことばかり起こっているような気もするし、そうでもないなあと楽観もでき、動く前に考えてばかりいられるのは、まったく悪くはないと思うわけで。
野に生える草は、たとえば太陽に向かって伸びていこうとする。そこに「故に太陽あり」との思考はないはず。考えるべきことが多過ぎるように思えるのは、それ故人間であるということの証みたいなものなのか。たった一つの人格なのに、人称ばかりは二つも三つも気にしている。面倒臭いなあ、人間って。それで、そういう面倒臭いのが嫌いじゃないんだよなあ、ぼくは。  


Posted by sousuke at 19:29Comments(0)どうでも良いこと