2011年10月03日

停滞。

 こんな書き込みの、というか当ブログのことなんだけれど、そのスタイルを変更しようと思いつつ相変わらずの鈍重さが功を奏してというか、功ではなくて確かに災いなのだけれど、それでもなお何かしらの言い訳が思い付いているから、このように切羽詰まらず茫洋としたまま。踏ん切りの悪さは自認するところだけれど、相当な焦りも感じていたりもするし。「自分が自分であることの確認作業」に固執するのは、やはり老いた証拠というか、そのような作業に没頭することでしか「生きる意味」なんかを実感できないからか、そうではないな、やっぱり。
 つまりは「リアリティのなさ」ということか…。そんな自問自答で悦に入ってるのだから、まだまだ考えに考え込むんでしょうね、この世のことなどを。例えば「誰か好きな人が居る」というリアリティからも随分遠ざかってしまっているような気もするし、こんなことをただただキーボードを無神経に叩いて綴ってみたりして、そこからまたリアリティが失われていくような。苦痛やストレスこそが人(人間)が最も実感しやすい「リアリティ」なのかもしれない。それは、例えば「死」を迎える瞬間に「生/Life」を痛いほど感じ取れることのようなもの、というか。

 そんな「リアリティ」が欠乏した文章をとりあえず書き残しておこう。日常の中の自虐的エピソードはまたの機会にします。
停滞。



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Posted by sousuke at 15:51│Comments(0)
 
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